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和尚の日記

マンガやゲーム、映画など自分が見たものの感想や紹介をしていきたいと思います。

戸愚呂弟の『100%中の100%』について真面目に考えてみた。

待ってくれていた人が居られるとは思いませんがお久しぶりです。

和尚です。

前回の投稿から一か月以上の時間が開いてしまいました。

仕事というものは本当に大変ですね。

 

というわけで復帰一発目のネタとして、戸愚呂弟でお馴染みの「100%中の100%」の意味について考えたいと思います。

なんでよりにもよってこのネタなのかって?

炭酸の強いジュースを飲んだ時に思わず呟いた『おお、効くねぇ』が戸愚呂弟っぽいなと思ったからです。

 

作品の熱い勢いに誤魔化されず、この「100%中の100%」というのを冷静に読むと、どこか変な気がしてくるでしょう。

今までは本気で闘っていなかったのかよ!?という疑問が出てくるでしょう。

 

そもそも「100%中の100%」とは表現としてどうなのか?

例えば弓道やアーチェリーで真ん中を射抜いたときに、「どまんなか中のどまんなかだ!」何て言う奴は居ないでしょう。いや僕なら言いますけどね

この場合、表現としてはおかしくなってしまいます。何故なら真ん中というのはある一点を指す言葉であるためです。

人間の認識上、真ん中に点をつけてもその更に真ん中というのは存在しますが、理論上真ん中とはただ一点のみを指すため、「どまんなか中のどまんなか」というのは存在しないわけです。一点の中に一点が存在するなんて、訳が分からなくなりますからね。

 

だったら同じように「100%中の100%」も表現としておかしくなるのか?という話になるわけですが、実はこれは理論上間違いではありません

数字には有効数字というものがあります。体重計や秤などでもそうですが、数字として示すことの出来る範囲というのがあるのです。

 

体重計に乗って87.9kgと表示されたとしましょう。ちなみにこれは筆者の体重ではないので悪しからず。

ではその人はピッタリ「87.9kg」なのでしょうか? また、87.9kgと表示された人は全員重さが全く同じなのでしょうか?

もちろん違います。87.9kgと小数点一位まで表示されていますが、これは小数点第二位の数字を四捨五入して求めたものです。つまりこの87.9kgと表示された人の中には87.85kg以上87.95kg未満の人たちが居るのです。

数字というのは細かくしようと思えばどこまでも細かくなってしまうものです。しかも誤差が生まれ易くもなってしまいます。そのためどこまでの数字を取り扱かうか決めているものなのです。

 

つまり、数字というのはただ一点を指す言葉ではなく、特定の範囲を示す言葉なのです

 

これを「100%中の100%」に当てはめてみましょう。

あの肩幅が異様に広くなった本気状態になるためには100%になる必要があると仮定します。

本気戸愚呂弟=100%という訳です、がここで表現を変えてみたいと思います。

%という単位を使っているため、数字は0~100%の間にあります。100%を超えることはありません。

なので本気戸愚呂弟なるための条件は、次の通りです

99.5%≦本気度≦100.0%

つまり本気度が99.5%を超えた段階で、戸愚呂弟はあの肩幅広くんになってしまうわけです。

100%じゃないじゃん!と思うかもしれませんが、99.5%の小数点一位を四捨五入すると、100%になるのでこれは100%なのです。

 

ここまでくれば「100%中の100%」というのがどういうものか、もうお分かりですね?

自らの本気度を99.5%を越え、99.6、99.7という風に上げていき、そして遂に真の限界値。100.0%になったこの状態を、戸愚呂弟は「100%中の100%」と呼んでいたわけなのです!

 

まとめ

筋肉と言ったら戸愚呂弟、戸愚呂弟と言ったら筋肉でありますが、決して脳のトレーニングを欠かしては居なかったということが分か

力さえあれば技は不要という極致まで至った戸愚呂弟ですが、彼は脳筋などではなく、むしろインテリだったというわけです。

 

最後に戸愚呂弟の言葉を借りて、記事を締めたいと思います。

生きるためとはいえ働くってのは、ストレスが溜まるねぇ。