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和尚の日記

マンガやゲーム、映画など自分が見たものの感想や紹介をしていきたいと思います。

雑記:『自由の本質』_新卒1ヶ月目の僕が気付いたことは『自由とは、不自由ありき』であること。

雑記

最近、凄く自由を感じている。

仕事が終わり、誰も居ない自宅に帰り、風呂を浴びて夕飯を食べ、パソコンをするという環境に、僕はこの上ない自由を感じている。

 

これはかなり不思議だ。

自由に使える時間で言うのならば、社会人より学生の方が圧倒的に多い。しかも就職する直前は春休みであり、その時の僕と社会人である今の僕を比較すると、どちらがより自由であるかは議論すべくもない。

だというのに学生最後の春休みを満喫していた時より、間違いなく今の僕のほうが自由を感じている。

これは一体どういことなのか?

 

そもそも自由とは何なのか?

ウィキペディアには以下の通りに書かれている

『自由とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。』

何物にも縛られず。自分の好きなことだけが出来ることを指すというのなら、間違いなく今の僕は自由とは言い難い。

会社に平日の大半を縛られ、好きとは到底言えない仕事(そもそもその領域に入るまで仕事をしていないが)をやら去られている現状は、上記の自由に合致はしないだろう。むしろ春休み中の学生に適した言葉だと言える。

定義的には自由とは言えない環境の下で、しかし先述の通り、僕は社会に出て働きに出ているという現状の中で、自由を感じている。いやむしろ、春休みの時には自由を感じていなかったのかもしれない

そこで、自由について、1つ考え付いたことがある。

それは『不自由があってこそ、自由が生まれる』というものだ。

言葉としては先に自由があって、そこから不自由が生まれたように思えるが、本質的には、不自由の中から生まれたものが自由なのではないか、という考えだ。

 

例え話をしよう。

生まれながらにして、世界中のあらゆることを、何でも思い通りにできる人物がいたとする。犯罪であれ善行であれ、何でも好きなことができる人物だ。

さて、その人はその状況に自由を感じているのでしょうか?

皆がどう思うのかは分からないが、僕は自由を感じれるとは思わない。

だってこの世の全てのことは、その人にとっては出来て当たり前の出来事なのである。

少なくとも僕は息を吸ったり、手足を動かしたりしたところで、自由を感じたりはしない。それと同じだ。

人は自分にとって普通の状態にあるとき、人からどれだけ自由に見られていても、真に自由であるとは言い切れない。

だからこそ僕は学生最後の春休みの時、自由を感じれなくなってしまったのかもしれない。

授業や研究など、自分を制限するものが存在しなくなり、最初のころは間違いなく自由を感じていた。しかし春休み後半になると、どんどん自由を感じれなくなっていった。

自由であった状態がデフォルトになってしまったのだ

自由であったからこそ、自由を味わえなくなってしまったのだ。何たる皮肉。

 

そして春休み当初に自由を感じていたことが、自由の本質とは何なのかを物語っている。

春休みに入って、己を制限するものがなくなった時、僕は自由を感じていた。

制限の解除、つまりは不自由の撤廃

学業や研究といった不自由という名の枠に囚われていた僕。そこから抜け出した瞬間に感じた、圧倒的な自由。

抑圧からの解放とでも言えばいいのか。人間は不自由を経験した後でないと自由を味わえないのだ

 

人間にとって通常の動作である呼吸だが、息を吸うという行為に自由を感じる瞬間がある。それは息止めをやめる時だ。

水中に潜って息を止め続ける。そして限界になったとき水面から顔を上げ、思いっきり息を吸い込む。生きていれば数えることすらできない程、頻繁に行う呼吸という行為であっても、この時ばかりは自由を感じれる。

まさにこれと同じ現象が起こっているわけだ。

生まれたまま、ある種の素の状態なのは、春休み中の僕だ。本来人間は素の状態では自由を味わえない。呼吸できるということに自由を感じたりはしない。それが普通だからだ。

しかしここに抑圧、制限という『不自由』のアクセントを加える。そしてその『不自由』から解き放たれた瞬間、その人は『自由』を味わえるのだ。

 

自由とは自然に生まれるものではなく、不自由という状態から生まれる副産物である。

これが僕の『不自由の中から自由が生まれる』という考えである。

 

となれば、社会に出て働いている僕が何故自由を感じているのかにも答えが出る。

社会という不自由の中から、僕は家に帰っていく。家で出来ることは就職前と何ら変わっていない。それでも不自由から抜け出して、好きなことができるという状況に、自由を感じているのだろう。

 

ちなみにこの記事を書こうと思ったきっかけは、ビスケット・オリバのあの肩書。

世界最自由という言葉を思い出したからです。